古川柳研究の意義

古川柳研究は、文学的価値もさることながら、江戸期の社会、風俗、文化、流行、考え方を知る手がかりとして大きな意味を持った。
昭和15年ごろの父の日記からは、研究が進むにつれ、江戸の暮らしの実相が鮮やかに浮かび上がってくる感激が読み取れる。近世文学がまともな国文学の研究領域としては認知されていなかった当時にあっては、宝の山を見出した思いだったのだろう。
父は江戸前の握りずしの淵源を調べている。握りずしはいうまでもなく、江戸末期に現れた食べ物だ。
すしのめし妖術という身でにぎり   (柳多留108) 
を文政9年の句に発見し、初出がここまで遡れることを証明した 。
寿司を握る手の形が、忍術使いが結ぶ印の形に似ていることを取り上げており、押し寿司や馴れずしではなく握り寿司に違いないということである。
併せて浮世絵における握りずしの初出も発見している。装丁に使われているものがそれだ。
大学時代の私は、運転手としてよく父の調査につき合わされた。東京堂出版の「江戸川柳辞典」「江戸文学地名辞典」「江戸切絵図」などを編纂しているころで、谷中や両国の名所旧跡やお寺にいっては石碑や墓碑銘を丹念に調べていた。
このような古川柳を起点とした重層的、多角的なアプローチにより、江戸期の庶民の生活や風俗がリアルに浮かび上がってきたのだろう。
昭和61年に父が逝ってから四半世紀を超えた。父の蔵書は最後に教鞭をとった大妻女子大学の図書館に「浜田義一郎文庫」としてお引き受けいただいた。