2013-02-01から1ヶ月間の記事一覧

古川柳研究の意義

古川柳研究は、文学的価値もさることながら、江戸期の社会、風俗、文化、流行、考え方を知る手がかりとして大きな意味を持った。 昭和15年ごろの父の日記からは、研究が進むにつれ、江戸の暮らしの実相が鮮やかに浮かび上がってくる感激が読み取れる。近世…

戦後の古川柳研究会

戦後になると、王子の製紙博物館が会議室を提供してくれ、ここで古川柳研究会の定例会が毎月開かれるようになる。 出征に際し家業を閉じた父は、戦後は出版社や化学会社の経営に携わるなど紆余曲折を重ねた末、昭和28年46歳にして東洋大学に専任ポストを…

多士済々の仲間たち

戦中戦後の古川柳研究会には、後に名を成す多士済々のユニークなメンバーが集まっていた。 点描してみよう。山路閑古は共立女子大の化学の先生。川柳を坂井久良岐、俳句を虚子に学んだ文人でもあった。その閑古と三高同窓の比企蝉人は東京学芸大の化学の先生…

古川柳研究会への参加

大学を卒業する三日前にその父を失った義一郎は、心ならずも家業のノート屋を継ぎつつ、大学の非常勤講師や専門誌への寄稿などを重ね、江戸文学研究を続けていた。 菩提寺の過去帳で6代まで遡れる江戸っ子の末裔であることを誇りとしていた父の研究領域は川…