古川柳研究会への参加

大学を卒業する三日前にその父を失った義一郎は、心ならずも家業のノート屋を継ぎつつ、大学の非常勤講師や専門誌への寄稿などを重ね、江戸文学研究を続けていた。
菩提寺過去帳で6代まで遡れる江戸っ子の末裔であることを誇りとしていた父の研究領域は川柳、狂歌黄表紙、洒落本などの軟派江戸文芸。中でも大田蜀山人が中心だった。
それだけに、ライフスタイルも常日頃江戸っ子らしい洒脱さを心がけていた。また酒を愛し肴にもこだわりを持つ人だった。
そんな父の活動拠点のひとつとなったのが誕生したばかりの古川柳研究会。
中学の仲間であり、東大の卒論として初めて川柳を取り上げたという杉本柳汀に誘われての参加だった。父の日記では昭和17年5月22日の第16回例会とある。
戦時中の古川柳研究会はメンバーの自宅で開かれていたようで、日記によると、拙宅でも二回までは会場の提供を確認できる。