突然の指名登板

【濱田】今回の衆議院選挙での世耕さんの獅子奮迅の働きは、自民党に大勝をもたらす原動力だけでなく、広報の可能性を社会に知らしめたと思います。まず、今回の選挙で司令塔を努められた経緯からお話し願えますか
【世耕】広報に携わってきた人間として、今回広報の成功事例を作ることが出来、広報の重要性を一般にも認識いただけたことは、大変にうれしいことでした。
さて、私は8月8日、郵政法案が参議院で否決される直前の賛成討論を行いました。その演説を総理が非常に気に入られ、すべての候補者にあの演説内容を配れという指示がその日のうちに出ました。さらに総理から、いろいろなメッセージを世耕に考えさせたらどうだというアイデアが出たそうです。すぐに安倍さんに呼ばれ、「総理も言っているのだけど、今回、メディア対策、広報戦略が非常に重要だ。君が広報の責任者をやってくれないか」と言われました。
 さらに翌日、武部さんから「世耕君、このまま選挙に突入していくと、この党本部には誰もいなくなる」という話がありました。選挙になると応援と称してみんな全国へ出かけ、永田町の自民党ビルは党職員しか残らないのです。
武部さんは、「世耕君は参議院議員だからこのままずっと東京にいて、広報だけでなく、例えば小泉総理がどこで演説をするか、あるいはどういうマニフェストをつくるか、すべてを一元的にやるように。自分の権限を全部渡す」と言われました。そして、「広報本部長代理の肩書きでは足りないので、幹事長補佐に任命する」と言われました。「幹事長補佐という役職は、党則にありましたか」と聞くと、「私がいいと言ったら、もう君は今日から幹事長補佐だ」と言って、党職員の古手の人を集め、「全て世耕君に任せたから、彼のほうを向いて仕事をするように」と言ってくれました。おかげで、私は非常に仕事がやりやすい環境になりました。
そこで、以前から温めていたコミュニケーション戦略チーム構想をただちに実行に移しました。私をヘッドにして、広報、コミュニケーションにかかわる仕事をしている党職員を全部集めました。この職員を一堂に集めての会議をまず毎朝始めました。