【対処】

97年に開業した大邱地下鉄は,2号線が現在建設中で1号線のみ運行している.事故の発生した中央路駅は市内中心部に位置し,隣は国鉄と連絡する大邱駅である.中央路駅の駅員は6名,うち1名は事故当日休暇中であった.駅員のうち2名が殉職している.また,列車は運転士のみが乗務するワンマンシステムである.
このように大邱地下鉄は現場の職員を少数にとどめ,総合司令チームが遠隔コントロールを行うことで経費を節減し作業効率を高めている.結果として,地下鉄公社のスタッフは事故の初期対応に失敗し,被害を拡大させた.その詳細については,後で検討することとする.なお,2003年8月6日,大邱地裁は放火犯とともに,総合司令チーム職員5名,両列車の運転士,中央路駅員1名の計8名にも,被害拡大の責任を認定し有罪判決を言い渡している.

大邱広域市消防本部は,出火の1分後の9時54分には火災を認知し,55分に出動司令を発令し,58分には第一陣が現場に到着した.
出火の第一報は,市民の携帯電話から入ったようである.出火した列車の運転士は総合司令チームへの迅速な報告を怠っており,総合司令チームは火事を認知しても消防へ連絡していなかった.一方,被害にあった乗客の多くが携帯電話で外部に連絡しており,消防本部への乗客からの携帯電話での通報だけでも100本にのぼったという.それが最後の通話となった犠牲者も数多い.市民からの通報を消防や警察が受け,総合司令チームへの問い合わせとなり,総合司令チームが列車や駅に確認するという,通常とは逆の情報の流れとなり,実態把握に混乱が生じた.
消防本部は中央路駅近くにあり,第一報を受けたときには,窓から立ち上る黒煙が確認できたという.この黒煙は,避難活動にも救出活動にも大きな障害となった.酸素ボンベを使用しても,地下深度18メートル,移動距離では160メートルに及ぶ地下三階ホームへの進入は困難を極め,始めは消火活動より救出活動を優先せざるを得ず,燃えるに任せる状況だった.煙突状となった駅舎からの進入を避け,隣接駅から線路伝いに現場に到達することで,実質的な消火活動が可能となった.鎮火までには3時間45分を要している.