【原因】

放火犯の放火にいたる経緯にはここでは触れない.引火性物質による放火は,日本においても新宿バス放火事件,青森消費者金融放火事件など多くの大量死傷事件が発生している.このような放火が発生したとき被害を最小限にとどめるため,どのような対処がなされたのか,なぜ,被害がこのように拡大したのかを問題意識とし,検討することとする.

被害拡大の要因として,以下のことが指摘できるだろう.
1. 車両の問題
車両材質の不燃化が徹底しておらず,急激に延焼したことに加え,燃焼により煙や有害ガスを発生させたこと.
2. 駅舎の問題
駅舎が地下深くにあり,階段,改札口等の構造も複雑で,避難ルートがわかりにくいこと.
消火設備や器材,避難誘導路や退避施設など,空間の安全設計思想が脆弱であったこと.
また,そもそも地下鉄駅舎の構造自体が,空気の流入と流出が一定方向であり,燃焼を促進する「かまど構造」であること.
3. オペレーションの問題
地下鉄公社内部で,総合司令チーム・列車・駅のコミュニケーションが混乱し,適切な危機対処をなしえなかったこと.
また,列車のドアを開けなかったことをはじめ,乗客の避難誘導がなされなかったこと.
以下,項目ごとに見ていこう.

<1>車両の問題
地下鉄の車両は,ドイツのシーメンス社が製造したものを,韓進重工業が輸入し,香港で一部の部品や内装を取り付けている.
外装はステンレス製.
内装は,床部分は塩化ビニール,天井と内壁はFRPで内壁の内側に断熱材としてポリウレタンフォームが入っている.座席は,表面が天然羊毛,クッションはポリウレタンフォームである.
鉄道車両は軽量化のために,昨今,高分子化合物を多用する傾向にあるが,大邱地下鉄も例外ではなく,また,不燃材ではなく,難燃材が多用されている.なかでも,ポリウレタンフォームが燃焼に際し煙を多量に発生させ,犠牲者拡大の要因となったと思われる.韓国原糸織物試験研究所によると,防災基準設定に際し,有毒ガスの基準は存在せず,測定も行っていないという.なお,98年2月に韓国では車両材質について安全基準が設定されているが,97年11月に営業開始したこの地下鉄には適用されていない.また,車両間連結部の扉の開閉状況により,延焼の速度に差があることが明らかになった.放火列車は,連結部の扉が閉まっていたのに対し,対向列車は,連結部に扉がなく開放されている構造であった.このため,対向列車の延焼速度は速く,発火後1時間経過した時点で,放火列車は3両目まで延焼,対向列車は6両すべてに火が廻っていた.これは,連結部が開放されていたため延焼が容易だったことと,連結部の蛇腹が燃易性の合成樹脂だった影響が大きい.

<2>駅舎の問題
駅舎の設備は小規模な火災のみを想定したかに見え,このような大火災の前には無力だった.
駅舎では,スプリンクラーが作動したが,駅舎全体のスプリンクラーを有効に機能させるためには,給水量が不足し,効果には限界があった.
車両内にも駅舎にも消火器が備え付けられ,駅舎には消火栓も設置されているが,使用されていない.パニック状況の中では,避難が精一杯で,消火活動を行う余裕はなかったのだろう.
中央路駅のホームは地下3階にあり,上り下りそれぞれのホームから各4箇所,合計8本の階段で地下2階のコンコースに通じており,ここに改札口がある.地下1階は地下街につながっているが,火災発生時は開店前でシャッターがしまっていた.駅舎の構造はわかりにくく,特に照明が落ち,暗闇になったため避難を一層困難にした.避難誘導サインも設置はされていたものの,黒煙の中1メートルを下回る有効視界の条件下では効果を発揮しなかった.また,駅員による誘導もなかった.退避シェルターは設置されていない.地下鉄の駅舎の構造は,退避するに際しては閉鎖的空間でありながら,トンネルを通じての空気の流入量が多く,いったん火災が発生したときには,かまどと煙突の構造に転化する.
そのため消防隊は上からの突入を諦め隣駅から進入した.また,線路伝いに避難した人は助かっている.
中央路駅の排煙設備は地下2階のコンコースに設置されていた.能力が低く充分に機能しなかったが,ひとつ間違えれば,下から上への空気流通を助長するターボの役割を果たしかねないところだった.
対向列車の入線は,燃焼中の放火列車に大量の酸素を送り込む「ふいご」の役割を果たした.走行中の地下鉄の起こす風は50メートル先にまで影響を与えるといわれる.この風に煽られ,放火列車の火勢が強まったさなかに,対向列車は入線したことになる.


<3>オペレーションの問題
大邱地下鉄は現場の職員を少数にとどめ,総合司令チームで中央コントロールを行う組織設計である.突発事件に対処するためには,運行管制の責任を負う総合司令チームのリーダーシップのもと各列車の運転士,駅務員とがスムーズに連携することが不可欠である.総合司令チームには,運転司令室と機械設備司令室がある.9時53分,火災発生と同時に機械設備司令室のモニターには「火災発生」の表示がなされ,警報ベルも鳴ったが,機械設備司令室は,これまでもモニターの誤作動が多かったことから,この警報を無視し,火災の認知が遅れた.02年12月だけで,90件の誤作動が発生し,そのほとんどが火災関連だったからという.
総合司令チームは中央路駅員からの通報で火災発生から2分後の9時55分に火災を知ることになる.ちなみに放火された列車の運転士が運転司令室に火災の事実を報告したのは,発生から22分後であった.運転司令室は直ちに運行中の全列車に対し火災発生を連絡している.しかし,対向列車に対しては,注意するよう指示したのみで,運転停止命令を出さなかった.
対向列車は入線後,一旦開いたドアを手動で閉めたものの,発車直前に電力がダウンする.その後,運転司令室は現場の状況を掌握できず,運転士は運転司令室の指示を待ち,約5分間を空費する.10時2分の最後の通話において,運転司令室は対向列車運転士に対し,ドアの開放と車内放送を指示するが,既にパニックに陥った運転士はマスターコントロールキーを引き抜き避難した.
こうして見てくると,総合司令チームと各列車の運転士,駅務員とのチームワークが機能せず,それぞれのプロ意識,安全意識に欠落があったことが指摘できよう.
それ以前に,次項で述べるように,総合司令チームが全体の運行の責任を負うという設計思想そのものに無理があった.